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氷洞探検:ゴルナー氷河の未踏ムーリン探索

はじめに

スイス、イタリア、フランスの高山村を見下ろすマッターホルンと周辺の山々は、長らく登山家や探検家の聖地とされてきました。ロープウェイや山岳鉄道が観光客を比較的アクセスしやすい地点へ運んでいますが、未踏の氷洞はまだまだ西ヨーロッパで2番目に大きい氷河系の奥深くに潜んでいます。私たちの探検隊は、そんな未知の氷洞へと向かいました。

遠征の概要

2012年10月下旬、ウェールズスポーツ協会の一部助成を受け、マーティン・グローブスとガレス・デイビスが率いる8名の英国チームが、ゴルナー氷河で2回目の遠征を実施しました。目的は、氷河内部にある「ムーリン」と呼ばれる巨大な水流通路を探査・測量・撮影することです。ムーリンは、氷河表面の湖やクレバスから流れ出た融雪水が氷を弱め、急に下方へと流れ込むことで形成されます。

出発と移動手段

ツェルマットの東側に位置するゴルナー氷河とフィンデレン氷河の間にあるゴルナーグラート山脈を、標高2,400mのゴルナーグラート鉄道(Gornergratbahn)で上ります。鉄道駅からは徒歩で氷河へ向かう必要があります。

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天候と苦難

到着当夜、予想外の大雪で鉄道は終日運休。前哨隊はテントの先端だけが雪に埋もれる状態でした。翌日、膝までの深いパウダー雪に足止めされ、スノーシューなしでは3kmの移動も困難だったため、駅近くにキャンプを設置し、天候の回復を待ちました。

氷河への本格的な進出

天候が回復した2日目、雪を掘り進みながら氷河へ下ります。前哨隊と合流し、フランス隊が語っていた「一週間続く快晴」のような天候は私たちには訪れず、悪天候が続きましたが、最終的に2日間の好天を得ることができました。

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ムーリンの探査

氷河上では昨年より多くのムーリンが開口していました。チームは2つに分かれ、最も入りやすい開口部から降下。ロープで岩や氷のスクリューに固定し、短いラペリングで氷の内部へと進みました。壁面は円柱状の鍾乳洞に似た形状で、上部には10メートル以上の大きさの岩や小石が氷に閉じ込められていました。

グレンジオロジストのサム・ドイル博士(アバリストウィス大学)は、ムーリンを通じた融雪水が氷河底部の潤滑剤となり、ゴルナー氷河は年間約15メートルの速度で流速を上げていると説明しました。

成果と今後の課題

2日間の限られたウィンドウで、3つの巨大ムーリンシステムを測量・撮影しました。これらは次回訪問時には位置が変わっている可能性が高いです。ムーリンが夏季に大量の水を取り込むことで氷河の流速が増し、縮小が加速することが確認されました。欧州の氷河は近い将来、姿を消す危機に直面しています。

この探検は、氷河内部の未踏領域を明らかにし、気候変動の影響を実地で観測する貴重な機会となりました。

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